ニッポン、チャB♪
明らかにふざけた題名のこのコーナーでは、その名の通り日本についていろいろ書いていきます。
俺の日本での思い出やその他いろいろ…気分で更新していくんで(笑
留学の話とは離れますが楽しんで見ていってください!
んで、古いのはどんどん削除されていく可能性があるのでチョコチョコチェックしておいた方がいいかも…見たい人はね(笑
日本一人旅〜関西編〜 no.8(完結)
日本一人旅〜関西編〜シリーズもついに最終回です!!
今回は旅の8日目と9日目の話です。
1月15日、朝9時過ぎに神戸北野のユースホステルを出ました。
次の目的地は大阪です。
大阪にはお昼前には着いて、まずは道頓堀に向かいました。
お昼はラーメン(だったけかな??)を食べました。
そしてその後、吉本の芸人のお笑い生ライブと新喜劇が見れるNGK(難波グランド花月)に行きました。
その日俺が見たので有名だったのは千鳥かな、俺はあんまり好きじゃないからあれだけど。
あとは「松本人志のすべらない話」でグランプリを獲った兵動のコンビの矢野兵動も出てて、その人達はけっこうおもしろかった。
あとは途中で外国人のジャグラーが出てきて、その人が意外にウケタ(笑。個人的には千鳥よりも…
んでWヤングとかいうコンビもけっこうおもしろかった。
そしてこの日キテたのがオール巨人阪神!!(笑
この人達の漫才は見たことなかったけど、この日見てメチャクチャおもしろかった!
普通にこの日吉本のお笑い芸人ざっと10組見たけど、その中でダントツで一番おもろかったと思う。
俺が最近思うのは、よくわからないお笑い芸人がたくさん出てきたなってこと。HGとかパッションとか小島よしおなどの1つキャッチフレーズをもった芸人が売れ始めて、そういうので勝負しようとしてる人が多すぎる。
俺はHGもパッションも小島よしおも普通におもしろいから好きだけど、エンタとかで明らかにそっち系に走ってる人が多い。
はっきり言って見てられない。
正統派漫才ならそこまでおもしろくなくても、下ネタ連発さえしてなければ見ていられるけど、最近ちょっと見てられない、特にエンタ。
まあ話はそれましたが、NGKで楽しい時間を過ごしました。
その後、最寄の駅に適当に行けば着くかなと思って何も考えずに歩いてたら普通に迷いました(笑
んで気付いたら通天閣やないかい!?みたいなwww
その後、なんとかどこかの駅に着き新大阪のユースホステルに辿り着きました。
新大阪のユースホステルですが出来てから数年しか経ってないようなところでメチャクチャキレイだった。お風呂もかなり大きかった。
談話室にいろんな外国人の人がいたけど、その中にメチャクチャ日本語が上手い韓国人の多分同い年くらいの女の子達がいてテレビに映ってるタッキーを一生懸命デジカメで撮ってました(笑
俺を韓国人と思ったのかいきなり韓国語で話しかけてきました。俺韓国人に見えるかな??
ホバートの学校の韓国人にもちょっと格好悪くなったパク・チソンだ、みたいなことよく言われてました(笑
ってか韓国人の女はなんであんな日本語上手いんだ(皆ではないけど)??
とまあそんなこんなで旅最後の夜を終えました。
翌日、1月16日、大阪から千葉、松戸へ帰ったわけなんですけど、そこのユースホステルで朝ごはんを食べてるときドイツ人の人と少し英語で話した。こういう時、自分が去年よりかは成長してるかなって思える。あと英語というか言葉の素晴らしさ。
ああいうところでさりげなくだけど外国人の人とコミュニケーションがとれるのはうれしいものだ。
あと帰りの電車で関西本線が一番気に入ったかな。
ってなことでこの日は一日かけて家に帰ってきました。
8日ぶり(かな??)の家でした。
今回関西に旅したわけですけど、その旅で僕をサポートしてくれたのは、青春18切符とユースホステル会員証とJRのポケット時刻表です。
この旅は青春18切符とユースホステルをフルに使った旅でした。
安上がりですが僕にとっては最高に贅沢な旅でした。
青春18切符でのんびり目的地を目指し、ユースホステルではいろんな人に出会うことができました。
今回は僕にとって初めての一人旅だったわけですが、旅には昔から憧れていました。皆さんご存知の「男はつらいよ」寅さんを見て、俺もいつか行ったるぞ!!と思っていたので今回行けてとても良かったです。
皆さんも青春18切符と時刻表片手に旅に出てみてはどうでしょうか??
日本一人旅〜関西編〜 no.7
今回でこのシリーズもついに7回目!!
今回は旅の7日目、1月14日の話です。
僕は旅の中で神戸に行くのが一番楽しみでした。
なぜならタスマニアで友達になった人と会えるから。
ということでついにこの日がきました。
この日は朝ゆっくりめだったので、出かける前に談話室にある「神戸在住」というマンガを読んだのですが、これにはまってしまいました(笑
作者の人の日記みたいな感じで、すごいのんびりした感じのマンガなんですが、それがたまらなくいい!!「耳をすませば」的な良さです。
10時に神戸駅で友達と待ち合わせして、適当にそこらへんのお店を回りました。
お昼にその人の両親と何故か(笑)合流し、お昼をごちそうになったあと、何故か(笑)車で神戸観光に連れて行ってもらいました。
まず近くの神社かお寺みたいなところに行って、その後六甲山へ連れて行ってもらいました。
そこからの眺めは最高でした!!
神戸市が一望できます。
そのあと明石海峡大橋に連れて行ってもらいました。
明石海峡大橋は橋長3,991m、ケーブルを支える2つの主塔間の長さ1,991mで世界一のつり橋らしいです。
橋には遊歩道があって入場料を払えば、歩くことができるのですが、そこに床がガラスのところがあって、ちょっとした肝試しができるのですが僕はビビッてそこの上を歩けませんでした…
ってかなんかあってガラスのところが壊れたら、冗談じゃすまされないし。。。
そんでその後近くにあるファミレスで夜ゴハンをまたもやごちそうになってしまいました。
食べ終わった頃にはもう外は暗くなっていて、ライトアップされた明石海峡大橋を見ることができました。
この日は友達とそのご両親にとてもお世話になりました。
帰ってからは談話室で神戸の夜景も見ながらゆっくりしました。
そしてユースホステルのペアレント(管理人みたいな人)に何時頃までにチェックアウトするとか、そういう注意事項あるか聞きに行ったら、笑顔で
「あぁ、なぁんもないよ。だからKちゃんが帰りたいときに出て行ってくれれば。」
その後、その人の顔が急にマジになって、
「ただな、Kちゃん…」
と言ってきたので俺も次になんか大事な忠告がくるのかと思って覚悟して待っていたら、となりにあった神輿を指差して、
「そこの神輿は持っていかんどいてな(笑」
やばい!!と思った(笑
なんだこの笑いセンスは!!この笑いの殿堂(自称)と呼ばれる俺までをも落としいれ、笑いを誘うとは!!
しかも俺の記憶が正しければ、電話で予約を入れてるときにもうすでに俺のことをKちゃんと呼んでいた(笑
そんなこんなで神戸に行ったのは初めてでしたが、この1日で完璧に神戸を好きになりました。
あとから、いろんな人に話しをすると、
「それは、そうやってお世話になったからだろ!!」
って言うんですが、そういうのが理由ではいけないんでしょうか??
僕個人の意見ですが人というのは大きな問題だと思います。
世界には素晴らしい町がいっぱいあります。
でも、その中でもやっぱりここがよかったな!!って思えるのは人との出会いだとか、そういうちょっとした理由があるからだと思います。
とにかく理由はどうであれ神戸が大好きになってしまいました。
日本一人旅〜関西編〜 no.6
前回から少し間が空いてしまいました。
今回は旅の六日目、1月13日の話です。
朝8時過ぎ頃、岡山のユースホステルを後にしました。
そしてまず岡山城に向かいました。昨日に続いてまたまた城です(笑
外壁の黒漆が烏みたいだということで「烏城」の別名があるそうです。
その後、すぐ隣にある後楽園に行きました。
後楽園は日本三名園として全国でも有名ですが、すごいいいところでした。
10:52発の電車に乗らなければならなかったので早歩きで岡山駅へ向かいました。
昼に播州赤穂に着いて、乗り換えに30分くらいあったのでそこでお昼をすませました。
そして1時過ぎ姫路に到着!!
姫路と言えば姫路城!と父にかなり勧められたこともあり行ってまいりました。
やけに人がいるなぁと思えば、なんか地域のマラソン大会みたいなのやってました。
この日が日曜ということもあり、観光客がかなりいました。
姫路城はこれだけ人を集めることもあるなぁって感じでした。
ただ僕的には広島、岡山城のほうがよかったです。
ちょっと姫路城には人がいっぱい居すぎて、ゆっくり見学っていう気分にはなれませんでした。
そんなことが理由ですが、タスマニア住みの僕にはマジで応えるんです…
その後、電車で神戸へ向かった。
神戸に着く前に同じ電車に乗ってたうるさい女子高生たちが「ジャンカラ、ジャンカラ」言っていた。
ジャンカラとは「ジャンボ・カラオケ」というカラオケのチェーン店で関西では有名らしい。
神戸で阪神本線に乗り換え、京都で会ったおじいさんに教えてもらった「南京町」へ行くために元町駅へ。
中華街という中華街に行ったことない僕はちょっと感動してしまいました(笑
食べ物も安い!!
ちょっと食いかけで誠に申し訳ないんですが、これで確か540円だった。これって安いよね??
南京町の中心部(になると思われるところ)です。
この夜はいろいろとおいしいものをいただきました。
その後、元町駅からユースホステルが近くにある三宮駅へ。
ユースホステルには夜の8時頃到着しました。
この日から二泊したところは神戸北野ユースホステルといってちょっと小さいところですがとてもキレイにしてあります。坂の上にあるので談話室からは神戸の夜景がとてもキレイに見えます。
有名な異人館のすぐ近くにあります。
着いた夜は雪が少しでしたが降っていました。
日本一人旅〜関西編〜
no.5
今回は旅の5日目、1月12日の話です。
この日は朝親戚の家を出て、まず広島城へ行きました。
多分城っていう城を間近でしっかり見たのは初めてだったと思います。
この後、護国神社へも行きました。
広島駅のすぐ近くに、お好み焼き広場があったので行ってみたのでけど、メチャクチャすごかった。
お好み焼きのお店が20店以上あるところなんですけど、前を通り過ぎようものなら声をかけまくられます(笑
あれは想像を絶するものだった。声かけられるほうが恥ずかしかったですww
その後、電車で岡山駅に向かいました。
岡山駅に着いたときはもう暗くなっていました。
そこから、その日に泊まるユースホステルを探さなければいけなかったんですが、これが難航しました。
何回も交番や歩いている人に道を聞いて、夜8時前にようやくユースホステルに着きました。京都のユースホステルとは違い小さく、また見つけにくいところにあったので大変でした。
岡山のユースホステルは少しだけみすぼらしい感じでしたが、そんな気になるくらい汚くもなく、普通の民宿みたいな感じです。
ただその日は寝つきが悪く、深夜三時頃まで1時間ごとに起きちゃう感じでした。
日本一人旅〜関西編〜 no.4
今回は旅の4日目、1月11日の話をします。
この日は朝からあまり天気が良くありませんでした。
雨が降らない前にと思い、午前中に日本三景の一つ宮島に行った。
鹿がいました!!(笑
海の中に立つ鳥居、不思議ですね〜
厳島神社にも行ってきました!!
五重の塔っすね!!
天気が良ければ、もっと景色もよかっただろうなぁと思いましたが、これに限っては仕方ないですね!!
この後、原爆ドームがある平和記念公園に行った。
原爆ドームです。
原子爆弾はこの建物の真上で爆発したと言われています。
これは友達などを原爆で亡くした子供達の願いで建てられた像です。
上にいる女の子は原爆の後遺症で亡くなった貞子さんです。
貞子さんは病院で病気が治るのを願って折り鶴を折り続けました。
後ろのボックスには千羽鶴がたくさん入っています。
見えにくいかもしれませんが、像の下にある碑です。
「これはぼくらの叫びです
これは私たちの祈りです
世界に平和を
きずくための」
とあります。
とてもシンプルですが、何か心の中に訴える力を持った言葉だなと思いました。
ここに原爆で亡くなった方々の遺骨が納められています。
ここで燃えている炎は原爆のときの火を今まで燃やし続けてるそうです。
「安らかに眠ってください
過ちは
繰返しませんから」
とあります。
今の日本が国としてとっている行動が本当にこの過ちを繰り返さないようにしているか、疑問です。
実はここには過去2回来てるのですが、今回は資料館を2,3時間くらいかけてじっくりまわった。
ここの資料館のインパクトはすごい。
この時改めて、今世界にある原子爆弾の危険性とか、それらがどういう事態を起こし得るのかを教えられた。
この後、親戚の家に帰り、おばあちゃんとおばさんといとこの家族と食事をした。
いとこの家族には二人子供がいて、上の子は男の子でもう小2くらいに
なると思うんですが、その子とゲームしたりして遊んだ。
次の日俺がいなくなるのを知ったとき「え〜」とか言ってた、俺ももうちょっと一緒に遊んでやりたかったけど仕方ないです。
俺は末っ子なんで、けっこう下の子と遊ぶの憧れだったんですよね、でもその子供は夏に俺の地元に遊びに来るんで俺は遊んでやれないんですよね。。。
その子が俺のことを「おじちゃん」って呼んだときは皆笑って「まだそんな歳じゃないわな」って言ってた(笑
そんなこんなで広島での最後の夜は終わりました。
日本一人旅〜関西編〜
no.3
今回は旅の3日目、1月10日の話です。
この日は朝8時前には京都のユースホステルを出て、バスで京都駅に向かいました。
9時頃に京都駅で電車に乗って、姫路→播州赤穂→岡山→広島と乗り継いでいって、夕方の4時頃に広島駅に着きました。
京都から広島はそんなかかんないと思ってたんですけど、なんと7時間もかかりました。これでもちゃんと前日に時刻表見て、上手く乗り継いでいってるんですが…
それで広島駅で路面電車の広電に乗って、少し行き、無事親戚の家に着きました。
この日は丸1日を移動に費やしたので、特にどこにも行きませんでした。
日本一人旅〜関西編〜 no.2
この日は朝ユースホステルで食事をして、京都の1日バスフリーチケットを買って出発した。
最初はバスで嵐山に向かった。そのバスを早めに降りて川沿いを歩いて行った。
僕は京都のいろんな名所の中でも嵐山がかなり気にいってます。
中学のとき修学旅行で行って、ものすごくよかったのを覚えていたのでこの日も行ってしまいました。
渡月橋
そして天竜寺に行きました、庭園で有名なところですね。
この後天竜寺の近くで昼飯を食べたんですけど、こんなのがあって入ってしまいました(笑
この次はバスを乗り換えて金閣寺まで行った。
金閣寺に行ったのは初めてでしたがやっぱり金でした(笑
あと外国人がかなりたくさんいました、日本人より外国人のほうが多いんじゃないの??ってぐらいでした。
その後またもバスに乗り銀閣寺を目指しました。
銀閣寺です!!
何かおもしろいものがありました。
銀閣寺は金閣寺とはまた全然違った感じでいいですね。
多分わび、さびってやつですか(笑
この後両親の超おススメの哲学の道に行った。
その後バスで清水寺に向かった、そのバスがメチャクチャ混んでて辛かった。
こういうところが京都のいいところですよね!!
清水寺には夕暮れ時に着きました。
清水の舞台。
清水寺からの夜景。
このあと昨日と同じユースホステルに帰り、そこの浴場がなかなか大きくてよかったのでゆっくり入ってたら、他の人が入ってきた。
その人と少し話をした、その人は戦時中は海軍だったらしい。
それでその人に神戸の南京町というところをすすめられた。
この日思ったのは、観光地とかにいるとけっこう写真撮ってって頼まれるんですけど。
撮ったあと、あまり上手く撮れてなかったなぁって自分で思った時の罪悪感と言ったら、間違いないですね。
あれがあの人達の思い出の一枚かもしれないのに!!みたいな(笑
ということでまた次回。
日本一人旅〜関西編〜 no.1
こんにちは、ブログで更新宣言してからかなり時間が経ってしまいましたが、1月8日〜16日の八日間の記録を1日分づつチョコチョコ書いていこうと思いますので気長に読んでください。
今回は旅の1日目の話です。
1月8日の朝4時半頃に家を出て、京都に着いたのが午後の2時過ぎでした。なんでそんなにかかったのかというと、僕は今回青春18切符で旅したので特急や新幹線には乗れないで、鈍行列車の旅だから!!という訳です(笑。この切符は一日分がだいたい2300円(5回分セットで11500円?確かそんくらいだった)で全国のJR線の普通、快速に1日乗り放題っていうお得な切符なんですが、移動に時間がかかるのでお金がない暇人向けってわけです(笑。
京都についてまず伏見稲荷大社に行きました。
伏見稲荷と言えば千本鳥居ですよね!!
鳥居ありすぎでした(笑
けっこうハードな道のりでした。
小人住んでそうなところを見つけました。
この後稲荷大社から東福寺まで歩いていきました。
かなりデカイ門がありました。
父のススメで行ったのですがもう庭園みたいなとこらが閉まってて入れなかったのが残念でした。
この後京都東山ユースホステルに行き、チェックインを済ませて部屋に入ったらもう人が居て、その人と仲良くなったので一緒に夜ゴハンを食べに行きました。
僕はユースホステルに泊まるのは初めてだったんですけど、この京都のユースホステルがとてもキレイでお風呂が大きいことにビックリしました。
この日なんですが早速アクシデントがありました。東京駅からの1本目の電車の中で僕は爆睡していました、そんで乗り換えの駅に着いたので、降りてポケットに手をツッコンだら、「あれ?サイフなくね??」。その瞬間顔が真っ青に。そしたら電車の前の方で車掌さん達が何かやってたので行ってみたらサイフの落し物で話していた。行ったら俺のサイフだった〜、助かった〜って素で思いました。拾ってくれた人に感謝です!!
この日の夜、明日京都のどこに行こうか、考えながら寝た。
My Way
久々にこのコーナーも更新ですね。
ってかこのコーナーのトピックなんですがまったくこのコーナーの名前の「ニッポン、チャB」に関係なくなってきたなぁって気付いたんですが、まあ気にせずに行きましょ(笑
俺の語りの場ということで♪
今日は友達の家に久しぶりに泊まりに行った、本当に楽しかったのだがふと思ったことがある。
たまたまDef Techの「My Way」が流れてて思ったのが、結局皆人それぞれのmy
wayを進んでいるんじゃないのかなって。
俺の友達も本当にいろんな奴がいる。
バスケを高校に行ってからもまだ必死に頑張ってる奴、バイト頑張ってる奴、東大目指して勉強しまくってる奴、高校から弓道はじめて全国大会行った奴、ヤンキーになった奴。あとオーストラリアに留学行ってる奴(俺)。
小学校や中学校で一緒にバカしてきた奴等やバスケしてきた奴等が今まったく違う方向に進み始めてる。そう「始めてる」のだ。
これから先、さらに皆違ったそれぞれの道を進むことになるだろう。
人は皆、人生の中で何度か選択を迫られるのだろうと思う。
その選択をものすごく考えて決める人もいれば、簡単に決めてしまう人もいる。それは自由だと思う。
大事なのは「自分で決めること」だと思う。
俺にとっては高校の選択や留学に行くことを決心したことなどがある。
最近思うのは全ての選択は繋がってるってこと、俺はあの高校に行ってなければ今の留学はない。
高校も留学も自分で決めた(もちろん親やその他のいろんな人の助けがなければその選択も出来なかったのだが…)。
はっきり言って、今までの自分の選択が正しかったかどうかなんてものはわからない。でも自分で決めたことだから何が起こっても文句は言えない。
そして俺がわかるのはいろんな分かれ道があっても自分で自分の進む道を決めてきたこと、そしてそれは紛れも無い1本の道であること。
やっぱり一番大事なことは自分の歩んでる道を信じて、進み続けることだと思う、それが正しい道かわからなくても。正しいか正しくないかは自分で決めるものだと思う、自分が頑張って成功すればその道は正しい道になる、妥協すれば間違った道になる。
今日も語りましたね〜(笑)じゃあまた次回!!
日本とオーストラリアの違い??
今回はこっちに来て気付いた日本とオーストラリアの違いについて。
両国間の違いなんてのは、探せばいっぱいあると思う。
言語や細かなマナーとか、常識とかもけっこう違ってくるけど今日のはそういうことではない。
日本人は皆でまとまって何かに向かって頑張る!!みたいなことに美徳を感じるところがあると思う。
それはやっぱり小さい頃から自然と身に付けられてる。
学校行事や部活。
これらはその典型的な例だと思う。
それとは逆にオーストラリアはもう個人の自由に任されてる感じ。
日本みたいな部活はないし、行事事とかも日本ほど多くない。
ただ日本の皆でうんぬんって言うのには何か「皆と同じでなければならない」みたいな要素が見え隠れしているような気がする。
例えばよくある合唱祭、その人なりに一生懸命歌っていても周りは「もっと声出せる」、「声が小さい」とか何だとか。
確かに周りよりも声が小さいかもしれないし、もっと出るかもしれないけど、日本だとよくその時点で全否定されることがある。
そうすると自分の一生懸命やろうとしてた気持ちが全否定されたような気になってしまう。少なくとも俺にはそういう経験がある。
だけどオーストラリアは少し違う。
俺はこっちでミュージカルに参加してる、日本で俺のこと知ってる奴は「あいつには無理だろう」って思うかもしれない、実際に俺も最初そう思った。日本では合唱祭とかでいつも足を引っ張る役だ、態度でも声の大きさとかでも。クラスで賞をとりたい人達には邪魔な存在だったかもしれない。でもこっちは皆が楽しく歌って踊れればそれでいいのだ。
だから今ミュージカルの練習とかがあってとても楽しいし、それに向けて頑張ろうとも思える。俺はそれが好きだ。
ただやっぱりこっちに来て物足りないものもある、こっちには日本でいう部活動に値するものはないと言っていいかもしれない、ほぼクラブみたいなものだ。
でも日本で部活してきた俺にとってはそれは物足りなく感じる。
ただオーストラリアらしいのは体育館ならいくらでも自由に使える、俺は毎週木曜日は体育館でいつも遅くまで1人でバスケしているのだが、終わった後体育館がある建物には誰もいない先生もとっくに帰ってるし電気はバスケコート以外は消されてるけどコートは使ってても何も言われない。日本だったら「誰か先生が見てなきゃダメ」とか「何時から何時まで」とか決まっていることが多い。
どっちが良くてどっちが悪いとは言えないし、これらはもう両国の文化だと思う。ただ自分としてはどちらにも偏らないのがいいと思う。
チョー気持ちいい!!!!
懐かしい〜、この響き!!(笑
今日はすごい自慢するんで、覚悟しておいてください。
けっこう前の話になるんですが、オーストラリアのメルボルンで世界水泳がやってました。
他のところでもチョコチョコ書いてるんですけど、その大会の直前合宿をするために日本代表の水泳チームがタスマニアのホバートに来ていました。
まあ当然、ここにいる日本人は有名な選手からサインもらおうだの、写真撮ってもらおうだの考えるわけです。
というわけで俺も北島選手を狙って、同じ学校の日本人の友達と日本代表が練習しているプールに行ったわけです。
しかしその日は北島選手には結局会えませんでした。
皆で「あ〜、こんな絶好のチャンス二度とないよな〜」とか言って、すごい悔しがっていました。
そして「まあ、ホバートまで来てたのは本当なんだから会ったってことにして皆に自慢しとけばいいんじゃね!?」とか言う輩も出てきました(俺)。
そして数日後、学校が終わった後友達と町でダラダラしていて、「マジやることねぇ〜」とか言ってたら、その友達が
「ってか昨日妹が北島にサインもらってきた。」と一言。
当然それを聞いた俺は、その友達を引き連れてプールに直行。
友達は「どうせいねぇだろ。」とか言ってたけど、俺は
「いや、一か八かだ!!」とか言ってプールに向かった。
プールに着くチョイ前、トレーナーっぽい人達とすれ違ったので8割方あきらめていた。
プールに着いて、「もう帰ったかね?」とか言ってたら、まもなく奥の方から日本代表の服を着た人達が歩いてきた。
そう、その中の1人は紛れもない北島康介選手だった!!!!!!
すかさず写真を撮ってもらいました(笑
もう本当に感動しました、そしてスゲェ緊張しました!!
やっぱり生きてればラッキーなことってあるもんだね(笑
小学校時代A
ここでは主に小学校5,6年生の頃の話をします。
学校ではクラス変えが行われ、いい先生いい友達に恵まれ、毎日楽しい学校生活を送っていました。
昼休みにみんなで遊具鬼したり、放課後みんなで帰れって言われるまでサッカーしたり…
本当にいい思い出ばかりです。
一方ミニバスのほうでは最高学年になり、キャプテンになっていました。
こちらでもいいコーチ(その当時は本当にコワかったけど…)、いいチームメートに恵まれ関東大会優勝まですることができました。
俺がこっちに来る前コーチがその時のタテをくれました。
そのときコーチはこう言ってくれました。
「これを見て、栄光を思い出すんじゃなくて、そのときこんな仲間とバスケをやっていたとかこんな仲間と頑張ってたなっていうのを思い出してほしい。」
この頃の仲間は本当に最高でした。
俺けっこう練習中あぁしろこぉしろってうるさいんですけど、皆一緒になって頑張ってくれました。
今になってあのありがたさがわかります。
かけがえのない思い出です。
激動の1年
そろそろ日本では桜が散り始めたころかぁ…
俺が日本の高校に入学してからもう1年が過ぎたって思うと、何かちょっと寂しくなるというか何と言うか…
いつも時の流れの速さを感じるときなんか思いにふけるというか、ちょっと考えてしまうんだよね(笑
例えば去年の夏は、「あぁ、去年のこの頃は夏の総体やってたんだっけな…」って思ったりしてた(笑
そして今年は俺にとって本当に激動の1年だった。
まず中学卒業。やっぱり部活のことを思い出すと悲しくなってしまった。
(中学校時代のことも後々書くので)
そして一般受験で合格した公立高校へ夢と希望を抱き入学(笑
最初に会ったのは部活動のいい仲間といい先輩。
このときは後にあんなことになるなんて思ってもいなくて、部活動の人達といるときは本当におもしろかった。
そしていい担任の先生、いいクラスメートにも恵まれた。
本当にHRのときも授業中もすごいおもしろくて、いっぱい笑わせてもらった。
まぁ、そんな中で起こったあの事件は本当に今考えると悲しい。
そして結局僕は部活を辞めることを決意。
いろいろ考えた末に留学という未知の世界へ進むことを決めた(笑
本当に辛いときもあった、でもそんなとき両親、ミニバス時代のコーチ、中学の顧問の先生、担任の先生やクラスの皆が支えてくれたから今の僕はある。
この事件でやっぱり悲しいのは、
部活動の中での人間関係がギクシャクしてしまったこと。本当にいい先輩、仲間達だった。出来ればずっと一緒にバカな話とかして笑っていたかった。
もう一つは、俺の中心だった部活動というものが奪われたこと。
(自分からそうしたんだろ、と言う人もいると思いますが)
この話をしてると皆は「何だよ、未練ありありじゃん。」って思うと思いますが、その通り!!未練ありA、今でも悔んでます。
でもある人にそれ以上に大切なものがあることを教えてもらいました。
それで俺はこの悔しさに背を向けるのではなく、共にこれからの人生を歩んでいくことを決めました。悔しさをバネにじゃないけど(笑
そして今ここにいるわけです。
この一年は一生涯忘れることはないだろうなぁ、と思います。。。
とまあこんな感じで今日は語ってみたんですけど、どうでしたか?
まあ気楽に見て頂けると幸いです(笑
桜祭り!!
僕の地元にはけっこうすごい桜並木があって、毎年春になるとその桜通りで大規模な桜祭りが行われるわけなんですが、今年もそのシーズンがやって参りました!!
あぁ〜俺も行きてぇ〜、桜見てぇ〜!!
でもやっぱりまた夜桜っていうのもなんか贅沢な感じがするね。
(話がつながってない!?)
まあこんな感じで日本(ってか桜)が恋しくなってる今日このごろです。
小学校時代…@
俺の小学校時代はやはりよく遊んだなぁ…
まあ、ここでは3,4年生の話をするんでよろしく。
僕は3年生の頃ミニバスに入り、それからバスケに夢中になっていきました。しかし一時期ミニバスに行くのが辛くなり、辞めたいと思うようになりました。
毎週土日にあるあの練習は小学生にとってはなかなかハードです。
そして、ある日俺はついに決意し、父に辞めたいと言いました。
そして父はその旨をミニバスのコーチに伝えに行ったわけです。
しかし、父は退団ではなく「休部させてくれ」とコーチに言いました。
当然、そのことを聞いた時、僕は怒りました。
しかし結局またクラブに戻り、皆と一緒に練習を始めたわけです。
今では、父にものすごく感謝しております。
あの時、父が「退団」と伝えていたら、その後の栄光も仲間もすばらしい思い出もできなかっただろうから。
しかしその頃の俺はヤンチャでした。
悪いこともいっぱいしました。
まあ僕の小学校の3,4年生の頃はこんな感じでした(どんな感じだよ)。